十八歳になり、四人は揃って職業資格試験を受け、見事全員合格した。診療所開業に向けて本格的に共同購入の話が進んでいった。つい最近売り払われた都心の大通りにある石造りの建物を見つけることができ、話し合いのすえ資金を出し合って購入し、学院を卒業後、そこを改装し始めた。私が診療所を開くことになったのは四階建ての二階部分で、三人が「心療内科だと分かりやすいように“メゾン・テラピー”という名前にしよう」と言って、勝手に私のフロアの名前を決めてしまった。だが、私もそれがいいと思っていたので、特に抵抗はしなかった。
 こう説明していると、我々は金のために医者になったように思えるかもしれない。そういった理由があることを否定は出来ない。しかし、私たちは医師になるために全力で勉強したし、その根本にあるものは何より家族への愛だった。同時に、これは貴族としてのプライドでもあった。「貴族」と言えば聞こえはいいかもしれないが、この貧富の差が激しい首都では没落貴族を見ることも希ではなく、財産を失って路頭をさまよっている元貴族も少なくなかった。それでも金のある高慢な貴族たちは豪奢な生活をやめることが無かった。ここは、大気汚染や水質汚染のために公害に遭い、病気を患っても治療するための費用を持たない貧しい人間に対し、腹を肥やした男がつばを吐きかけ、華美な貴婦人たちが醜く顔を歪めるような街だった。非貴族は非人間だというかのようだった。我々は、その中間にいた存在だからこそ、現状を冷静に捉えることが出来たのだ。貧しい人々にも惜しみない診療を与えるべきである。それが、陰湿な世界に縛られることを避け、独立を選んだ我々の医師としての枢軸となっていた。

 この街で開業医として存在することは、楽なものではない。たとえ別の職種に就いていても、意図的な人の悪口があっという間に広がり、評判を瞬く間に下げる世の中である。私たちは極力周囲に気を配りながら診療所を営んだ。医師として働くほか、社交性もなければ貴族としてやっていけないので、舞踏会に出たりサロンに顔を出したりすることも必要だった。まるで貴族という称号が足かせになっているようだった。
 母と妹のための新居を早く購入したかったが、業績のない医師の最初の数年は稼ぐことも容易ではなく、とにもかくにも患者の信用を得ることが第一だった。郊外の家と診療所の往復は、距離があるため堪えるが、わがままなど言ってはいられなかった。少しずつ得た金は全て家の生活費に充て、余裕が出た時には妹の持参金として貯蓄した。
 今ではもう、私が亡き父の代わりだった。他ならぬ私が家族から失わせた、父の代わりだった。

 開業してから二年、私が二十歳のとき、ある貴族の患者が現れた。その患者は初め付き添いを連れてやって来た。付き添いは老人だったが、患者の家族ではなく、患者の住む屋敷の隣の屋敷の使用人だという。奇妙な構図を不思議に思いつつ、私は彼らの話を聞いた。
 患者の名は、ミレイユ・ド・ラ・パージェリといった。目鼻立ちがはっきりした美しい二十二歳の女性だった。やや癖のある栗色の長い髪と、白い肌、そして小さな両手足がとても可愛らしかった。年齢にしてはかなり背が低く、初め見たとき少女かと思った。彼女は私のその動揺に気が付いたようで――というよりは、そう思われるのは仕方がないといった様子で、自分の背が低いのは発育不良だからだと説明した。いや、そのくらいの身長は確かに珍しいが、別に不良というわけではないと私が言うと、彼女はそれを否定した。そこで、この少女には何かしらの問題があるのではないかと感づいた。
 付き添いの老人から聞いた話によると、ミレイユは父親から虐待を受けているという。隣の屋敷の使用人部屋がミレイユの住む屋敷に近いため、父親の怒鳴り声とミレイユの悲鳴がしばしば聞こえるらしい。それはもう十数年前から続いており、ここ数年の間にそれが激しくなったとのことだった。老人の話に対し、ミレイユがうつむいて黙っていたので、母親はどうしたのだと彼女に尋ねた。すると彼女は、自分の複雑な家庭について説明し始めた。
 ミレイユと父親は、血の繋がっていない家族だという。母親はミレイユが六歳の頃に病で亡くなっており――そういえば私の父が亡くなったのも私が六歳の時だったが――ミレイユは、母の連れ子だった。もともと母親は別の男性と結婚しており、その間にミレイユが生まれたのだが、彼女の本当の父親は事故で亡くなり、母は未亡人となっていた。そのすぐ後、今の義父に気に入られた母は再婚したが、実の子でないミレイユを義父は愛することが出来ず、母親の存命中も冷たく当たっていたという。母は懸命にミレイユを守っていたが、その心労から体調を崩し、そのまま帰らぬ人となった。そして、義父とミレイユの二人暮らしが始まった。
 親からの愛が得られない子というのは、親を憎んでいながらも心の底では熱烈に愛情を求めている。だが、淡々と説明するミレイユからは、そういった欲望が感じられなかった。彼女もまた、義父を愛していないようだった。幼い頃から冷酷な待遇をされているのであれば、それも無理はない。
 義父は、どうやら歪んだ精神を持っているようで、ミレイユをもてあますが故に、義理の娘である幼い彼女に使用人のような役割を負わせたという。他に使用人を雇わず、屋敷の管理や家事は彼女に全て押しつけた。そして、ミレイユに外に出ることを禁じた。義父による残酷な世界の始まりだった。彼女は屋敷の中で、母親の死亡以降、長いあいだ一人で暮らしてきたという。時おり外に出ることがあっても、それは父親が世間体を守るために自分の家庭をアピールする目的のものであり、それもじきに「娘は病気がちだから」という嘘で行われなくなった。ますます軟禁状況にされたミレイユだったが、義父のどんな仕打ちにも抵抗しなかった。彼女からは、父親の支配する空間から脱出したいという気持ちが失われていた。
 それは非常につらい思いをしてきましたねと私が声を掛けると、ミレイユは無表情でこう言った。「義父が私を憎むのも無理はありません」。妙に理性的な態度だった。
 初診の場合は、あまり長らく患者に負担をかけることを避けるため、ある程度話をしたところで診療を切り上げるようにしている。義父の暴力がエスカレートする危険性があるので、出来れば保護したいのだがと言うと、彼女は、それは無理だと首を振った。普段は外を出ることを禁じられており、今日はたまたま義父がいないということで運良く外に出られただけで、隣の老人が心配して無理矢理ここに連れてきたにすぎない、と。確かに、約束を破り、心療内科に来たことが義父に見つかると何をされるか分からない。診療のためには、またここに来てもらいたいところだが、簡単に外に出られない彼女にとって、それは大きな負担になるだろう。
 そこで、私は「手紙のやりとり」を申し出た。自身の屋敷内での状況と義父の様子を一週間に一回、身元がばれないように宛名や本名の無い手紙に書き記し、隣の屋敷の使用人に渡してもらう。それを私が受け取り、ミレイユを診察するという方法だ。そこで薬が必要であれば用意して隣の使用人に手渡し、密かにミレイユに届けてもらう。これを聞いて、ミレイユは、そこまで手間がかかるのなら診療などしなくていいと拒否したが、過酷な状況にいる患者を放っておけるわけがなかった。隣人も快くその配達員を引き受けてくれたことで、その治療法は実行に移されることになった。