出来るだけ早く、出来るだけ高い収入を得る必要があった。そして、少しでも金銭の負担を無くすため、母と妹に味方してくれる人間を増やさなければならなかった。知り合いを増やすには、人口の多い都心に赴くことが一番の方法だったが、単にふらふらしているだけでは世間の目は冷たい。
 私には将来この職業に就きたいという希望はなかったが、どんな仕事にも就けるように前もって勉強を始めていた。少ない財産から捻出した金で家庭教師を雇い、早く解雇できるように死にものぐるいで勉強した。がむしゃらに勉強しているうちに、君には医者になれるくらいの知力がつくだろうと家庭教師に言われた。考えてみれば、それも一つの方法だと思った。私の国では、医者は必ずしも高収入ではなかったが、貴族には医師として収入を得る人間も多く、何より医者になれば私が母と妹を診られるようになる。それが一番安全で、金銭の負担も減る方法だろう。今更土地を取り戻せるはずがないので、領主としてではなく別の方法で貴族の名を保つ必要があった。そのことを思い切って母に話すと、母は快く許してくれた。私のせいでこんな目に遭わせたというのに、母は相変わらず優しかった。あまりに申し訳なくて、私は母親の前でしくしくと泣いた。それが十歳の時だった。

 私の国では十八歳で職業資格というものを得る。正規の資格を十八歳以降に得れば、その職業を名乗り収入源とすることが出来た。それまでの勉強法は各自に任されており、たとえば医者や裁判官、弁護士など多くの知識が必要となる職業は、幼い頃から勉強し始めるのが通例だった。我々の国では学校という概念が希薄で、財産に余裕がある者は有能な教師を幼い頃から自邸に雇い、十八歳の資格試験まで勉強し続ける。教育機関は、私立学校があるにはあるが、あまり質が良いとは言えなかった。ただし、人間の身体を扱うために研修が必要な医療従事に関しては、首都にある医科学院に四年間通う必要があった。つまり、早ければ十四歳から学院に入って勉強し、十八歳の資格試験に臨むことになるのだ。学院には高い授業料を納めなければならず、医師になることはエリートコースの一つでもあった。
 医師を志した十歳ののち四年間は、遺産で家族の面倒を見ながら独学で学んでいた。収入源は無いままなので、家庭教師を早々に辞めさせる必要があったし、教師も「これ以上教えられることはない」と言って私の師を辞退した。そして試験を受けて学院への入学資格を得ると、母は自らの財産をなげうって私のために学院の授業料を払ってくれた。代わりに、私は必ず十八歳で医師の資格を取ることを母に約束した。
 医科学院での勉強は、楽しかった。最初の一年間は皆同じカリキュラムだが、専門を決める二年生以降はコースが別れる。私は悩んだ末、精神医療を選んだ。心療科は内科学の一分野であり、専門を得ると同時に身体の弱い家族を診られることが強みだと思った。それに、勉強していく上で精神医療に興味を持ったという理由もあった。私もまだ父の事件のことを割り切れていなかったし、自分の面倒は自分で見るしか無かったので、目的に合っていたのだろう。私は職業資格試験合格を目指して懸命に勉強した。

 十七歳の時、学院で三人の気の合う仲間を見つけた。それぞれ目指している分野は違ったが、同じ医師を目指す者としてサロンで話し合うことが多かった。非常に思慮深い友人たちで、私の家族の境遇についても広い視野をもって理解してくれた。
 医師を志す四人には、共通点があった。それは、皆が爵位の低い家の出ということだった。私のように金銭に苦労して学院に入った者たちで、権威に対して盲目ではなかった。そしてまた、共通する悩みもあった。私たちは皆、最も収入の多い開業医を目指していたのだが、位が低く資産も少ないために、開業に必要な金が無かったのだ。
 首都で医師として働くためには、二つの方法がある。一つは、専攻する科の医師が既に働いている場所、つまり病院や診療所に弟子入りして医師として働く方法。もう一つは、初めから施設を持って開業医として働く方法だ。前者は、ある程度年数を経ないうちは給与を上司に吸収され、あまり収入がない。また、医師の世界には徒党があるため、上司によってはその争いに巻き込まれることになる。ただし、そのぶん後ろ盾が多くつくので、何かが起こってもすぐに医師を辞めなければいけないという事態にはならない。
 後者の開業医は、よほど財産があり優秀な場合、あるいは自分の家系が開業医である場合だ。学院での研修と試験合格後、すぐに自身の病院もしくは診療所を得られるために、収入が直接的なものになる。経験が長くなれば弟子を雇うことも可能で、より収入は高くなり、生活の安定が保証される。その代わり、腕前で全てが左右され、評判の変化に常に気をつけていなければならない。また、様々な医療器具の購入や薬剤師との契約、働く場所が自邸でない場合にはその不動産の購入維持費、税金など、高額な費用が必要だ。医師ならば、取り戻そうと思えばすぐに取り戻せる額だが、その財源が初めから無い者は諦めざるを得ない。よっぽどの味方がいない限り多額の資金を貸りられることもなく、ましてや収入が確実でない者に対し進んで金を貸し与える業者もいない。
 四人には、それぞれ家族がおり、自身の家族を養わなければいけないという事情があった。根本にある願望が一致したことで、私以外の三人のうちの一人があることを提案をした。それは、四人で都市にある建物を共同購入し、そこを診療所として働ける場所にする、というものだった。首都にある不動産は高額で、税金も馬鹿にならない。それを四人で分割して払えば、開業医として働けないこともないだろうという話だった。初めのうちは設備費用が多くかかるが、大きな建物であれば有床に出来るし、四つの科が入院設備を共同で使うことも可能だ。都市であればあるほど患者の獲得数も増え、同じ境遇の開業医が四人集まると非常に心強い。初めは夢のように語られた話だったが、試験が近づくに連れ、それが有力となっていった。私も、父の遺産を使えば不可能な話ではないと思っていたし、何より家族のことを思えば、ある程度の賭けも必要だった。父の遺産を使用することを、私の話を聞いた母は快諾してくれた。