日常は残酷にも、単調な様子でやって来る。
 ミレイユを失った次の日も、私は診療所を開かなければならなかった。義父はミレイユの遺体を見つけ、おそらく葬儀の準備をしていることだろう。彼女の死は自殺として片づけられる。あの男が殺したも同然だというのに、首吊り自殺として全ては終わる。自殺でよかったとでも心の中では言うのだろうか、あの男は。自分が殺したわけではないし、罪にはならないから、と。周囲の者には説明するのだ、娘は最近精神不安定気味だった、自殺されて、私はこんなに嘆き悲しんでいる、と!
 私には彼女の葬儀に参列する権利が無かった。あのとき、彼女の遺体を置いていった時点で運命は分かれていた。私はあの家で何も見ていないことになっているし、あの家すら知らないことになっている。ミレイユという女性を一時的に保護したサイコテラピストというだけだ。私が吐き捨てた嘘のままで、私とミレイユの関係は終わる。
 それでいい、それでいいのだ、診療所と家族と患者を守るために、彼女の遺体を置き去りにしていったのだから。

 私はいつも通りに診療を終えていった。平静な心で、自分でも不思議なほど普段と変わらぬまま、誰にも昨日の悲しみが疑われることのないままに。独りになると泣き、人の前では作り笑いを浮かべるということを繰り返しながら、日々は過ぎていった。発狂しそうなほどの悲嘆を胸に抱きながらも理性を保てたのは、一時的にでも他のことに集中させる場を作る仕事のおかげだった。義父が診療所を訪ねてきたあの日以来、警察の捜査も牽制も無かった。後に聞くと、隣人の使用人ランドリーは彼の仕えていた屋敷で弔われたということだった。
 一日一日が淡々と遠ざかった。診療所の仲間たちが何やら感づいて私を心配することはあったが、適当にはぐらかしていた。
 私は、もう誰も巻き込みたくなかった。私が悲しみに耐えていれば、それで済むのだから。

 数ヶ月後、ようやく花を持って彼女とランドリーの墓に行くことが出来た。ランドリーの墓の在処を知るのは大変だったが、どうにか見つけて花を供えた。そしてミレイユの墓に行くと、彼女の名前が刻まれた墓石をぼんやりと眺めた。墓があること自体、救いだと思った。あの義父のことであるし、娘が自殺したということで世間体の評価が下がることを恐れているような気もしたが、考えてみれば、彼にかかれば、彼女を事故死と見せかけることも可能なのだ。人の死を都合良く変えられる警察という立場にいるのだから、自殺でも、事故でも、もはやどちらでもいいのだ。彼女の墓を立てたのは体裁を守るためなのだろう。
 ミレイユ・ド・ラ・パージェリ。もし彼女と結婚していたら、彼女には私の姓がついたのだろうかと想像して、自分を嘲笑った。何を言っている、貴族といえども階級の低い私が、上級警察官というキャリアを持つ父親の娘との結婚を許されるはずがない。私たちは、初めから結ばれない運命にあったのだ。
 それでも私は君を愛している。
 長いあいだ花を置けないまま、彼女の墓前に立ち尽くしていた。