私は、惑星キリエヴィルのある国の首都、朧月の明かりがほのかに降り注ぐ街に住んでいた。
 この街は日々濃い霧に覆われていた。国で最も大きな都市であり、その時代は産業革命の真っ直中にあった。文明と引き替えに空気や水は汚染され、分厚い雲に遮られた陽の光は滅多に届かず、人々は美味い水など飲んだ試しがなかった。都市の中心に住む裕福層ならば金に物を言わせて贅沢な暮らしが出来たが、郊外に住む者たちは領主に利益を巻き上げられている貧しい農民たちがほとんどだった。
 そんな世界で、運良く私は貴族層に生まれることが出来た。貴族の姓を持つと言えども爵位は低かった。父と母、妹と私の四人で、街はずれにある古い館に住んでいた。父は館の周りにある土地の領主だったが、優しい気質ゆえに農民から金を根こそぎ奪い取るような真似が出来ず、手持ちの財産は少なかった。私自身もそうだが、特に母と妹が生まれつき病弱で、財産のほとんどが医療費として消えていった。貴族なのに、使用人も年のいった男性を一人しか雇うことが出来ないような有様だった。
 それでも私の家族は幸せだった。館は古く、街から遠いせいで不便だったが、父も母も優しく、妹も可愛くて、父のおかげで周囲の農民たちも我々に好意的だった。何より静かな田園風景が広がる館近辺が、私は好きだった。馬車が行き交い、街路の汚れた煩わしい都心よりも、少し外れた場所にある人のいない田舎道の方が、自分の本来の気質に合っていたのだと思う。

 父が、私の誕生日に、うさぎをプレゼントしてくれた。生活のことを考えればペット一匹飼うこともはばかられる有様なのに、私が父と共に都心に行った際、うらやましそうに貴婦人の飼っているうさぎを眺めていたことを思い出したらしい。私はひどく恐縮したが、内心とても嬉しかった。父は微笑みながら、私の懐にうさぎを抱かせてくれた。
 それから、妹、名はクレアといったが、彼女と共にうさぎと遊ぶことが日課になった。皮膚が弱かったクレアは、日中に外に出ることが出来なかった。私と妹は夜になると庭に行き、うさぎに餌をやったり散歩させたりした。
 しかし、珍しく空が晴れた、美しい星空の夜のこと。
 私は、自身の不注意によって、父を馬車に轢かせてしまった。
 血まみれになって横たわる父を前に、私は唖然としていた。父の代わりに無事だったうさぎを腕に抱きしめ、虫の音がそこら中から聞こえてくる夜、少し冷たい風を感じながら、頭から流した血に浸かった父を抱き起こして必死に安否を確認している馭者の姿を見つめ、立ちつくしていた。私はまだ六歳だったが、私がしたことの意味は分かった。音を聞きつけて後ろから走り寄ってきたクレアと母の気配を感じ、私は忌まわしいうさぎを腕から解放して「見るな」と叫び、妹の頭を自分の懐に押しつけた。私を追い抜いて現場を見た母は悲鳴を上げ、あまりに多くの血を失い呼吸の消えた父の前で泣き叫んだ。
 私の罪が始まったのは、ここからだった。
 うさぎに罪は無いが、使用人に頼み、うさぎをどこか遠くへ追いやってもらった。

 父を失った館は、重たい空気に沈んでいた。残ったものは父の遺産と母の財産だけだった。幼かった妹は父が死んだということが分からないようで、母にしきりに「お父様はどこ?」と尋ねていた。そのたびに苦しげな顔で微笑む母を見て、私はこの先自分が永遠に負わねばならないものの正体を悟った。この事件のショックによって母がひどく落ち込み、それが弱々しい母の身体に悪影響を及ぼすことは確かだった。妹にも、いずれ真実が分かってしまうだろう。その真実の重さが――私が父を殺したのも同然であるという真実の重さが――二人の儚い命を奪うかもしれない。家族を奪われたら私に一体何が残るというのだろう?
 私は、幼い頭で必死に考えた。母には領地を治めるための体力は無いし、幼すぎる私にも農民たちに対する権威が無い。一時的にでも力、つまり自治を失った領地は、他の地域の領主に侵略、吸収されるのが落ちだった。生活費のほか、支払わなければならない高い税金、母と妹の医療費、使用人の給与なども必要で、遺産だけではまかなえなくなる時が来るだろう。もし私が働いて稼ぐ前に資産が尽きたら、我々は路頭に迷う羽目になる。いわゆる没落貴族だ。いずれ嫁がなければならない妹を持参金ゼロの状態にさせることなど出来るはずがない。
 最も良い選択は、母が他の男と再婚することだった。だが、未亡人で子どもを二人も抱えた女を、爵位だけが物を言う世界で誰が娶ってくれるだろうか。元はと言えば、私が悪いのだ。母も、父と同じく気質の穏やかな人間だったため、父を失わせた私を責めるようなことはしなかったが、心のどこかでは私を憎んでいるかもしれなかった。父を心底愛していた母に対して残酷な選択を迫ることなどしたくはない。そもそも私に再婚を進言する資格もない。そのため、私が働けるようになる、あるいは土地を治められる年齢まで生活費を抑えることが重要になった。三人ではあまりに広く維持費もかかる父の館を廃館にし、仕えていた使用人にも暇を与え、都市部では最も辺鄙な地域に移り住んだ。人のいい領主から安い値で借りた家は小さく、貴族が住むような邸宅ではなかった。母と妹の治療のために医療が最も発達した都心に行ける場所でなければ困るため、金がかからないという理由だけで遠い田舎まで引っ越すことは出来なかった。
 私たちは、遺産に頼りながら細々と生活を始めた。移り住んでから最初の二、三年は、解雇した使用人が男手を失った我々を心配し、寝泊まりする場所と食事があるだけのただ働きで私たちの面倒を見てくれていたが、後に別の領主からの引き抜きがあり、彼もまた我々の元から去っていった。