この星で一週間が経過したとき、彼に関する情報を運良く得ることが出来た。それは、丘の上にあるとても小さな村でのことだった。フランシスという男性が、一時的にその村で医師をしていたことがあるというのだ。それが、この星でのおよそ二ヶ月前のこと。その後どこに行ったのかを訊くと、彼は村からそう遠くない町に移動したという話だった。とうとう彼の居場所を突き止めたことに、僕の胸は高鳴った。

 乗り物を利用し、半日程度かかってその町に着いた。森の中にある、たたずまいの美しい閑静な田舎町だった。煉瓦の外壁と色とりどりの屋根が可愛らしく、人々ものんびりと平和に暮らしているようだった。都市に住んでいた彼がこういった場所に落ち着くというのは少し意外だったが、本当はにぎやかな都市ではなく、このような静かな田舎で暮らしたかったのかもしれない。通りすがりの町人に話を聞くと、フランシスという医者は町外れの家で開業医を営んでいるとのことだった。古風で珍しい名前だから、みんな知っているという。きっと本人だ。本人に違いない。僕は感激と焦りで泣きそうになりながら、その家へと向かった。

 彼の家は、町にある他の家々と同じ、煉瓦調のそれほど大きくない一軒家だった。きっと三、四年の間に医者をしながら各地を渡り歩いて金を稼ぎ、この家を借りるか買うかしたのだろう。家の手前まで来て僕は立ち止まり、ふと考え込んだ。果たしてフランシスに会っていいのか、僕に会う資格があるのかどうか、今更だが躊躇したのだ。

 そのとき不意に、家の庭に一人の女性が出てきた。僕は慌てて住人から見えない場所に隠れ、バラの垣根から様子を窺うことにした。庭に出た女性はバスケットを持っていて、そこから洗濯物を出すと、外に繋いである紐に干し始めた。若い女性だった。そのすぐ後に続いて、庭に男性が出てきた。一人の赤ん坊を両腕に抱えている、見覚えのある夜色の髪を持つ美しい男だった。

「……フラン、シ、ス」

 僕は瞬きも忘れて彼の姿を凝視した。やはり歳を取ったのか、聖地を去ったときよりも少し大人びているような気がした。腕にいる子どもは一歳くらいだろうか。柔らかく生えている髪の色から、それが彼の子どもだということが分かった。フランシスは、ベランダに出た女性――きっと彼の妻なのだろう――に話しかけて、微笑んでいた。それは僕が聖地で見ていたものと全く変わらない、穏やかで静かな笑みだった。

 僕の目に、涙が溢れた。もはや彼らの姿を正視していることは出来なかった。バラの茂みの前にしゃがみ込んで、僕は声を押し殺して泣いた。途中、通りかかった町の人が親切にも僕を心配してくれたが、何でもないと言ってのろのろと立ち上がって踵を返し、彼の家からどんどん遠ざかった。

 会ってはいけない。会いに行ってはいけないのだ。彼はもう、この星で生きることを決めた人間なのだ。前を向き、キリエヴィルの者として、この町の医者として新たな生活を送っている。彼にはもう、聖地も守護聖も関係がない。僕も関係がない。きっとあの女性にも自分の身元を話してはいないのだろう。新しい場所で、新しい家族と共に幸せな日々を過ごしている。これが人間の在り方だ。そう――僕が何よりも望む、人間の本来の在り方だ。

 町を囲んでいる人気のない森の入り口まで来ると、木の根元に座り、泣きじゃくった。僕の寂しさなどフランシスは知らない。僕のこの痛烈な苦しみを知ることはない。時間の流れの違うこの星で、彼は彼の時間を生きている。生きようとしている。長い時間が経過し知り合いが皆消え失せてしまった世界で、新しい生き方を自ら選び取っている。
 フランシスが聖地を出てから、この世界では数年も経っているのだ。もはや彼は僕のことなど忘れてしまっているかもしれない。僕はこんなにも覚えているというのに。毎日苦しいほど思い出すというのに。
 けれど、正しい。彼にとって今や僕などなんの関係もない存在で、それが紛れもない真実なのだ。僕は決して彼の邪魔をしてはいけない。そんな資格など僕には無い。なぜなら僕と彼は命の在り方が違うのだから。
 泣いて、泣いて、いつしか泣き疲れて眠ってしまうと、僕はいつの間に聖地の自分の舘にいて、いつも寝ているベッドの上で横たわっていた。用が済んだ僕を女王がこちらに呼び寄せたのだろう。それでもあと一目だけ見たかったと、僕は俯せになって、再び泣いた。もう二度と会ってはいけないという事実に胸が張り裂けそうだった。
 彼はいないものとして、僕はこの聖地で生きていかなければならない。命が停滞するこの清き牢獄で、彼がいないという苦しみを胸に抱えたまま、力尽きるまで、この土地で僕は生き続けなければいけない。それが僕の運命だ。それが、僕の、この聖地における守護聖としての使命なのだ。彼の生きる惑星を、途方もなく広大な宇宙を守っていくために。