セイラン
訊きたいことがある
これは間違いなく愚問であるが

もし、絵を描くことであの聖獣の闇の守護聖を失い、また
聖獣の闇の守護聖を得ることで絵を描くことを失うのだとしたら
お前はどちらを選ぶ





そんなことを訊いて、どうなるというのですか
でもいいでしょう、答えて差し上げます

もし、どちらかしか選べないとして、どちらかを
選んだのだとしたら、僕は
どちらを選んでも、不幸になるでしょう





不幸になるのか





そうです
想像をしてみてください、すべては想像から始まります

絵を描くことで彼が死ぬとしましょう、僕はきっと
長く長く嘆き悲しむでしょう、絵を描くどころではないでしょう

彼を選んだことで僕の両腕が腐るとしましょう、僕は必ず
やりきれない怒りを彼にぶつけてしまうでしょう
彼は僕を嫌ってしまうでしょう

でも、もし
たとえ僕がふたつのどちらの道も選べるとして
どちらも選んだとしたら、僕は
それでも不幸になるでしょう





それはなぜか





豊かではあるものの、それと同時に
僕はきっと他のなにものにも目もくれない
愚かな人間となるからです
豊かさは、否応にも、かなりの確率で
視界の狭さを生むからです





では、もし、絵を描くことも彼を得ることも
できなくなるのだとしたらどうか





それは、今の僕にとっては、ただの
無、でしょう

分かり切ったことをなぜ今更訊くのですか





考えていたのだ





何を?





たとえ、彼を失う前でもお前は
同じ事を言ったのだろう、と





……





これは、単なる私の見解だが、セイラン
お前はあまりに正しすぎるのだろう、しかもそれは
知恵の上に成り立つ正しさだ
その正しさを持つ者の苦しみは途方もないはずだ

哀れみはしないが、ただ
お前の苦しみがどれだけのものかは理解できる





……あなたもまた
そのひとりなのですね
僕の理解者であるというのならば

僕は、あなたと彼はどこか似ていると思っていましたが、本当は
僕とあなたが似ているのかもしれませんね





セイラン、お前にはまだ
残っているものがある
その残っているものは、失われない限り
お前を救うだろう
どちらも得ることも、どちらも失うことも
そう滅多にあることではない
もし多くを失ったとしても
すべてを失うことは、その命が果てるまでは
ないのだ