セイランの私室を訪れた時、セイランが床の上に倒れていた。
 私室の中心に置かれたイーゼルの前にうつぶせになっている彼の首もとからは、じんわりと広がる赤い液体。量的にも位置的にも致命傷であると即座に判断した私は、蒼白になって彼の元に駆け寄った。
 彼の名前を呼びながら、震える手で彼の伏した顔にかかる髪の毛をかき上げる。
 すると、既に死亡したであろうと思われたセイランが、なぜかうっすらと目を開き、深い水色の瞳を覗かせた。
 眩しそうに眉をひそめてから、ゆっくりと目線だけを私の方にやり、あ、フランシス、などと間抜けな声を出している。
 一瞬唖然としてしまったが、もしやと思い彼の周りに広がる赤い液体を指ですくい取ってみると、明らかに血液とは感触が違った。
 絵の具だ。
 私は呆れ果ててしまった。

「何してるんだい?」

 私が安堵の溜息混じりに尋ねると、セイランは、のそのそと起き上がりながら、なにこれ、とでも言いたそうな訝しげな顔で、赤い絵の具がべっとりとついた右頬を手で触った。
 赤く染められた手のひらを見つめて、少しのあいだ考え込んでいたが、じきに私を見ると、

「寝てたみたい」

 と、床の上で自分が寝ていたことを不満に思っているような口ぶりで、そう言った。私が、絵の具が飛び散った床の上で?と首をかしげると、セイランは、ああ!と思いついたように、すぐ側にあるキャンバスを見上げた。
 先ほどまで彼が作業していたと思われるキャンバスは、張られた帆布が元々そうであったかのように、一面真っ黒に塗られている。

「黒の次の赤の表現を考えてたんだ。
 で、嫌になって、撒き散らして、寝ながら考えてた」
「床の上で絵の具まみれになりながら?」
「うん……たぶん、ちょっと気持ちよかったんだと思う」

 分からない、と私は力無くかぶりを振った。
 芸術に興味があることは確かだが、やはり私は芸術家ではないのだと思う。
 赤い絵の具を血液だと勘違いしてしまったし(誰だってそうだと思うのだが)。
 顔の半分を真っ赤にし、こめかみから血を流しているような彼の姿を見つめ、私は再び嘆息した。

「心臓に悪いよ、セイラン」
「ごめん……」

 セイランは素直に謝った。眉を下げ、バリバリに固まりつつある髪の毛に指を通そうとして、失敗している。
 私は、ひとまずセイランを立たせ、とりあえず彼の創作時に身に着けるポンチョを脱がせた。その下の白い衣装にも絵の具が染み込んでおり、ますます呆れかえってしまう。
 セイランも、今回はやりすぎたと思っているらしい、自分の服を見下ろしながら、複雑そうな顔をしている。
 私は、気抜けしながらも、彼の困惑気味な表情に、少し笑ってしまった。
 数歩下がって、彼の佇んでいる姿を眺めてみた。
 身体の右半分だけ赤い。
 左側は白だ。
 これはこれで面白いと思った。

「君は、まさしく芸術の体現者だよ」

 呆れ半分、嫌み四分の一、敬意四分の一込めて言うと、セイランは、私に眺められているということに初めて気が付いたらしい、驚いた顔をして私を見つめ返した後、小さく肩をすくめて苦笑した。
 その姿が、なんだか可愛らしいな、と私はぼんやり思った。