「なんで、笑って……いつまでも、笑ってるんだよ!
 意味が分からないよ、君は、どうして守護聖になんてなったんだ! 守りたいものの近くにいれば良かったじゃないか……自分の星にいれば良かったじゃないか! ずっとましだよ、聖地なんておかしな場所で、気味の悪い命を持ち続けるより、遥かに……!」
「彼は、最後の抵抗をしたのだよ」

 男は、セイランの片手を握っている方とは逆の手で泣きわめくセイランの頭を撫でつけ、冷静な声で言った。

「思い出から遠ざかりたかった息子の、決死のわがままだった。永遠に心を殺し続けることなど出来ないと、彼は医者であるがゆえに分かっていた。家族の近くにいれば、辛辣な思い出の近くにいれば、彼は、家族に迷惑をかけるほど壊れてしまう。
 世界でたった二人の愛する家族を守るために、彼は、己に課された使命を果たそうと聖地に赴いたのかもしれない」
「そんなの……わがままですらない! それさえも自己犠牲でしかないだろう!?」
「そうかもしれない」

 微笑を含んだ声で、男は鋭く呟いた。

「けれど、眠りの力を得ることで、彼は、記憶の中で今もなお生き続ける愛した女性に、真の眠りを与えたかったのではないかな。今はまだ……為し得てはいないけれど」
「……」

 セイランは、もう何も言えなかった。言い返す言葉が見つからなかった。何か言葉を探そうと意味もなく視線を右往左往させたが、自分に言い返せることなど無いと分かっていた。
 結局、フランシスは、最初から最後まで自分自身を殺すことしかしていないのだ。父親を自分のせいで死なせてしまった家族のため、自分を頼ってくる心を病んだ者たちのため、そしてその両者を包括してしまえる宇宙を育む守護聖としての立場のため、彼は自らの悲嘆と憎悪を押し殺し、心と共に破壊してしまうことで、自分の守りたいものたちを守っているという。
 フランシスは、その道を自ら選んだ。自由気ままに、守護聖でいようが辞めようがどうでも良いと思っているセイランと違って、彼は、彼自身にとって最も過酷な道を選んだというのだ。

(これが、闇かよ)

 闇などという言葉で表せば、陰気で暗い、負のイメージを抱かせる存在のように思えるが。

(それが……本当に、他人に……他人“だけ”に、安寧と平静をもたらしている存在だなんて……
 彼の……自らの意志で……! こんな僕に……僕に対してすら……!)

 自分は、果たして彼の何を知っていたというのだろう。
 彼の側で、一体何が出来ていたというのだろう。

「……セイラン。君は、とても優しい子だね……」

 男が、まさしくフランシスの声音でそう囁いてくる。その優しさが嫌でセイランは首を振ってしゃくり上げながら、シャツを握りしめていた片手で彼の胸元を叩いた。

「馬鹿……馬鹿野郎! 君って本当に馬鹿だよ! なんでこんな僕と一緒にいるんだ……高慢で思い上がっている愚かな僕の傍に……君はいつだっていてくれた! それってなんのためなんだよ!? こんな馬鹿な僕なんか早く見捨てちまえよ! 見限れよっ!」
「セイラン……その答えは、私ではなく、彼が持っているよ」

 男は苦笑してそう言うと、セイランの頭への愛撫を止めて、その手である方向を指差した。セイランがゆっくりと顔を上げて指の先を見やると、そこには天蓋の下ろされているベッドがあった。ベッドの上が少し盛り上がっているので、誰かが横になっているようである。
 再びセイランの横顔に目線を戻し、男は、にこりと笑った。

「彼は、そこにいる。眠っているんだ……君を待っているのかもしれないね」
「……」
「行ってあげてくれないか? 息子の元へ……彼は目覚めなくてはいけないんだ」
「……僕、に……そんな、資格、なんて……」
「無いと思っているのかい?」

 肩を小さくすくめて、男はいたずらっぽく言った。セイランは男を一瞥し、すねてそっぽを向いた。本当に自分にはフランシスの関与出来るような資格が無いと思ったのに、男が――彼の父親がその反省をあえて咎めるような仕草をしたことに、少し腹が立ったのだ。
 男は、ぽんぽんとセイランの頭を撫でると、ほら、お行き、とセイランの背中を軽い力で押した。その手つきは、まるで父子でそっくりだった。

「彼が目覚めないことを知って、真っ先に飛んできたのは誰だい? そのことを息子が予測してないと思うかい?」
「……でも」
「お行き、セイラン。今、彼を目覚めさせることが出来る者は、君しかいない。けれど、気をつけて……彼の闇に呑まれないように」

 徐々に声が小さくなっていることに気が付き、セイランが男の方を見やると、男の姿がだんだんと背景と同化していた。今にも宙に消えそうなフランシス――中身は父親であるのだが――の様子に不安になって、セイランは思わず男のどこかを掴もうと腕を伸ばしたが、手は、すうと宙を切るだけだった。
 フランシスの父親は優しい微笑を浮かべて、ゆっくりと長い睫毛を伏せた。

「息子を頼むよ、セイラン」

 そして、男は、空気に解けるように跡形もなく消えて去った。残ったのは、男が座っていた誰もいないソファだけだった。