マツヨイグサ   花言葉は「ほのかな恋、協調」





 畑を耕している若い男がいた。肩まである漆黒の髪を後ろで束ね、白いシャツの袖をまくり上げて、土に向かって鍬を振り下ろしている。正午の照りつける太陽が、男の額に噴き出ている汗をきらきらと反射させていた。
 ゼクセンにしては、今日の気温はやけに高い。普段長袖を着ていることが多い村人たちも、暑さにやられたようで腕まくりをし、うんざりした様子で扇子を懸命に動かしている。ボルスもまた馬を歩かせながら、顔に滲んだ汗を何度もハンカチで拭いていた。休日のお決まりの格好である白いシャツと真紅のベストと茶のチェック柄のズボン、それからブーツの出で立ちで来たが、馬を下りた途端、上半身を裸にしたいくらいの蒸し暑さに帰りたくなった。草原にあるイクセの村には基本的に日影が無く、まともに日光を受けた地面が、その蒸した空気を空中に漂わせるのである。
 イクセの村に到着すると早速、馬の手綱を柵に結び、家の裏庭で畑仕事をしていた男に歩み寄った。気配に気付いたパーシヴァルは振り向き、ああ、と素っ気ない声を出して、盛り上がった土の中に鍬をぐさりと差し込んだ。
 ボルスは畑の前で立ち止まると、まだ何も植えられていない柔らかな地面を見下ろした。

「何を作ろうとしている?」
「キャベツだよ」

 パーシヴァルは畑の中からのっそりと出てくると、農具を運ぶための小さな荷台にあった金属のバケツを取り、首にかけ、畑とは別の方向へ歩き始めた。額をハンカチで拭きつつ、ボルスも後ろに続く。

「久しぶりだな。皆は元気か」

 振り向かずにパーシヴァルが問う。汗でシャツが貼りついている男の背中を眺めながら、ボルスは相槌を打った。

「ああ」
「すまないな、なかなか顔を出せなくて」

 村で毎日忙しいというのが元騎士団員の言い訳だった。井戸の近くまで来ると早速水を汲み上げ、桶いっぱいの水をバケツに注ぎ入れると、再びそれを持ち上げ、畑の方に戻っていった。ボルスは、やはりパーシヴァルの後ろを淡々とついていく。

「幸い戦争も起こらず何よりだ。村の野菜も順調に収穫できている。今年は豊作らしい。うちの畑も広さを増やしたのさ」
「へえ」
「野菜、余ってるから持って行けよ。皆に食わせてやれ」

 畑の前まで来るとバケツを地面に置き、農具の荷台から手ぬぐいを一枚取って、それを浸し、パーシヴァルは地面に埋まって半分だけ顔を出している石の上に腰かけた。少し乱暴にも見える動作で水をぎゅっと絞り、豪快に顔を拭う。

「暑いな」
「そうだな」

 ボルスが相槌を打つと、パーシヴァルは手ぬぐいを畳みながらボルスを無表情で見つめた。

「何か用か?」
「クリス様がな」

 そろそろ出産なんだよ。
 静かなボルスの宣告に、ああそうなんだ、とパーシヴァルは素っ気ない様子で頷いた。

「月数的にも順調だな」
「クリス様が心配していた。お前が顔を見せないからな。ときどき城に来るって言ったくせに」
「忙しいんだ。母親の具合は、今は比較的いいんだが油断できなくて。畑のこともあるし」
「ロラン殿がさ」

 男の言い訳を遮って、ボルスは遠くの空を見つめる。いつもより少し濃い水色だ。雲もほとんど見当たらない。これほどまで暑いのは、太陽を遮るものがいつもより少ないからなのだろう。こんな日に出撃などあったらたまったものではない。

「ここのところ毎日そわそわしてるんだ。男女別にそれぞれ名前も決めたって。自分から言うんだぜ」

 パーシヴァルに視線を移すと、彼はぼんやりとした目つきで地面を見つめていて、そのうちふっと微笑した。

「想像できない」
「だろ? だから、クリス様も毎日楽しそうだよ」

 そうか、とパーシヴァルは笑んだまま溜息のように呟いた。手ぬぐいを手の上でもてあそび、彼はしばらく考え込んでいたようだが、ふとボルスを見やると、よかったよ、と再び微かな声で呟いた。

「安心した」
「そうか」
「もうすぐなんだな。そのとき行けたらいいが」
「お前に任せる。でもまあ、お前の母君を優先しろよ」

 そう言ってボルスはパーシヴァルに近づくと、彼の肩をぽんと撫でた。

「もう行くよ。暑さで馬がへばっちまう。またな、パーシヴァル」
「ああ。あ、野菜を持っていくか?」
「うーん……また今度にする」

 ボルスはパーシヴァルに微笑みかけてその場を後にした。
 汗が額をとめどなく流れ落ちる。繰り返しハンカチで拭きつつ、柵に繋いでおいた馬のところに行くと、馬は「ようやくか」といった様子で主にバッと振り返った。彼も暑さにやられかけたのだ。いつになく機嫌が悪そうな相棒に苦笑して、ボルスはかたく結んだ手綱をほどいてやった。