ミヤコワスレ   花言葉は「また会う日まで、別離の悲愴、しばしの慰め」





 いつもと変わらない、ゼクセン連邦を守るための業務に当たっていた平和な日のこと。
 城下町へ出るドアの前でロランがクリスの知らない男女と立ち話をしているのを見かけた。男女の身なりからして、城下町かゼクセに住んでいる、ごく普通の壮年の夫婦かと思われた。
 ロランが一般市民と話しをする光景をほとんど見たことがなかったため興味を引かれ、少し離れた場所からその様子を見守っているうちに、夫婦は深々と頭を下げて城下町の方へ消えていった。二人を見送ったロランが踵を返したとき、クリスはさっと彼に近づいた。

「ロラン」
「クリス様」
「今のは?」

 視線で城下町の方を指す。ロランは同じ方向を一瞥した後、

「亡くなった騎士のご両親です」

 そう淡々と説明した。なるほどとクリスは頷いて、その騎士の名を教えて欲しいと問うと、ロランは少し間を作った後に答えた。

「イクセリスといいました」
「イクセリス……女性か?」
「いえ、男性です。私と同じ弓使いでした。
 以前、クリス様と墓参りに行ったでしょう」

 あのときの墓の主ですと言われ、付き添いで行ったものの考えてみればその者の名すら確認していなかった自分をクリスは恥じた。言い訳をすれば、あのときはロランのプライベートだったため騎士団長として行くべきではないだろうと思っていたせいだが、騎士として生きていた同胞なのだから墓前で拝まないより、拝んだ方がよほど良かったはずだ。あの場はロランと二人きりで、他の騎士が見ていたわけでもないのだから。
 団長として失格だ……と落ち込んでいると、クリスの心境に気がついたのか、ロランが口を開いた。

「騎士団長に気にかけて頂けたのなら、イクセリスも幸せでしょう」
「……」
「場所を移しましょうか」

 どうやらロランは食堂に向かう途中、先ほどの夫婦に話しかけられて立ち止まったらしい。前を進み、食堂に入っていくロランの後にクリスも無言で続く。昼食時からだいぶ経っているためか、食堂の中にはほとんど人はおらず、片づけをしている給仕たちがせわしなく中を行き来しているだけだ。他の騎士がいないことにクリスは内心ほっとした。
 ロランはクリスを近くの椅子に座るよう促し、食堂の角のテーブルに置いてある水差しから二つのコップに水を注ぐと、持ってきてクリスの前に並べた。ロランも長テーブルを挟んでクリスの向かいに座る。

「ありがとう」
「いえ。すみません、今の時間は注文が取れないので」
「かまわないさ」
「先ほどの二人は」

 ロランはコップに片手を添え、

「イクセリスの“これから”を知っておきたいといって、私を訪ねてきました」

 起伏のない声で言い、水をひとくち飲んだ。よく意味が分からず、クリスは首をかしげる。

「これから?」
「ええ。死ぬ前に、彼が考えていたことを知りたいと。彼は独身だったので、たとえばこれから結婚したかった人がいるのか、何か言い遺しておきたいことはあったのか、などです」

 親族からそのように直接問われるということは、ロランはよほどイクセリスと親しかったのだろう。ロランは自分の私情を滅多に口にしないため、正直彼の周りの環境がどうなっているのか同じ六騎士のクリスでも見当がつかない。ましてや恋人という立場にある自分である。未だ知らないことがたくさんある事実に、クリスは己が嫌になって溜息をついた。

「イクセリス殿は……ロランに、将来の話をしていたのか」
「しばしば。よく飲み交わしていた男だったので」
「そうか……それは、悲しいな……」

 ロランの顔を眺めているが、彼の表情は普段と微塵も変わらず無のままだ。愛という繋がりを得て距離が近くなった今、彼の感情の動きを人より幾分か読み取れるようになったと自負しているものの、プライベートではない場では依然この男の態度は頑なで、公私の使い分けはクリスよりよほど厳格のように思われた。
 しかし、公私の境目は感情を表に出すか出さないかということではないだろう――弓使いの頑固な性格を少し恨めしく思いつつ、ロランの反応を沈黙して促す。ロランは遠い目をして何度か水を飲み、そのうちのろのろと口を開いた。

「そうですね。なぜ、と未だ思います」
「ロランは泣いてやったか?」

 イクセリスのために。
 それほどまで仲の良かった男だ、いくら感情の露呈が少ないからといって、ロランも泣かないはずはないだろう。だが、あえてクリスは問うた。
 ロランはクリスを見つめ返し、ゆっくりと目を伏せた。

「なぜ、そのようなことをお聞きになるのですか」
「すまない。お前がひどく悲しんだのはよく分かる。でも、私はその者のためだけに涙を流すことはできないからな。だから親しかった者たちに泣いてやって欲しいのだ。私ができない代わりに、家族や、お前のような友人たちに」

 クリスもまた理性的な態度で答える。ロランは再びクリスを眺めたのち、かすかに息をついた。

「……そう問われるということは、私はやはり冷たく見えるのでしょうか」

 答えを曖昧にしつつ、意外な言葉を返してきたため、クリスは目をしばたたかせた。ロランがまさかそういったことを尋ねてくるとは思っていなかったのだ。
 どこか悲しげに見える男にクリスは慌てた。

「いや、違う。そういう意味で言ったんじゃない」
「ええ、分かります。先ほどの二人にも私はそう映ったのだろうかと不安になっただけです」

 まさか!と思わず声を上げた。もし彼らがそう勘違いをしているならば、私が行ってお前の誤解を解いてくると言う。ロランは小さく苦笑した。

「ありがとう、ございます……」
「ああ、いや……その。すまないなロラン、不快にさせたのなら」
「いいえ。
 私は時おり自分が嫌になります。客観であろうとするあまり、他人の感情を踏みにじるような真似をする」

 人の気持ちが分からないのではないが、感情を外に出すのが苦手ということと、理性的な態度を保ちたいがためにそうなるのであると、ロランは告白した。クリスは自分自身について説明するロランを意外に感じ、また本音を言ってくれた事実を嬉しく思った。少なくとも信頼されている証拠だろう。

「客観だからこそ周りに正しいことを言ってくれるときもあるではないか。私は、それはロランの美徳だと思うよ」

 微笑して言う。ロランは、そうだろうか……と困った様子だったが、同じくうっすら笑うと、ありがとうございますと頭を下げた。

「私は悲しみました、イクセリスが亡くなったとき。目の前で、息絶えていくところを見たとき……」

 戦の最中、頭を弓矢で打ち抜かれて男は死んだ。痙攣している身体を抱き留めたときには、もはや意識は無く、手を当てた友人の頬がどんどん冷たくなっていくのが分かった。
 ロランは自分の片手のひらを見つめながら淡々と、だが確実に悲痛な声で言った。クリスの胸もまた愛する者の嘆きを知り、ひどく軋む。

「ロラン。悲しいときは悲しいと言っていいんだよ。泣きたいときは泣いていいんだよ。お前には感情があるのだから」
「……」
「もしどうしてもそれが無理だというのならば、せめて私の前で泣いてくれ。きちんと悲しんで欲しいんだ。お前自身の痛みのために」

 クリスの言葉にロランは少し驚いた顔をした後、目を伏せ、感謝しますと呟いた。悲しみを表すなど本当は誰にでも当然のことなのに、この男はあえてそういう場を与えなければ、うまくその表現ができないというのだ。
 ああ、愛おしい。とても大人びた理知的な男性に見えるのに、とても単純なことを分からないでいる。
 お前は優しくてよい男だな、と言ってやる。ロランは首をかしげて戸惑いを見せたが、微笑んでごまかすだけで説明はしてやらなかった。