散々絡み合った結果、自宅を出たのは夜中だった。ベッドの上での幸福なまどろみの後、日付が変わる頃にようやく気怠い身体を動かしてシャワーを浴び、着替え、執事が気を遣って用意をしておいてくれた軽食を口にしてから外に出た。疲労感からか二人ともぐったりしていて口数が少なく、ゼクセンの森を通過しているときも、ほとんど無言で過ごしていた。
休日であったし、レオも口は堅い方なので心配ないが、城の勘ぐる人間は勘ぐるのだろうとロランの前を進んでいるクリスは溜息をつく。まだ日の昇らない時刻の外気は冷たく、自宅から着てきたコート一枚では寒かった。ロランも上着は持っていなかったため、父か執事の上着を貸してやろうとクリスが申し出たのだが、そんなものを自分が着て持って帰ったら城に戻ったとき言い訳できなくなると断られた。結局、ハイネックのシャツの下にもう一枚貸したシャツを身に着けているだけだ。
心配になって上半身をひねり後ろを振り返ると、馬をゆっくりと歩ませる、ランプを片手に持ったロランの青白い顔が浮かび上がっていた。目を伏せているその表情は相変わらずの無で、やはり疲れている様子だった。疲弊を滅多に表に出さない彼の、ここまでげっそりとしている姿を見るのは珍しい。
「ロラン、大丈夫か」
思わず尋ねる。彼はゆるゆると睫毛を上げてクリスを見た。
「……はい」
「明日――今日は仕事だが、あまり無理はしないで欲しい」
「ええ」
短く、淡々と彼は答える。普段と変わらぬ様子に見せているつもりだろうが、その語調には気力が無かった。
クリスが馬を止めると、ロランも手綱を操った。
「……クリス様?」
「ロラン。私は」
暗い森の奥を見つめ、クリスは一瞬迷ったが、低い声で続ける。
「私は、お前の苦しみではないか」
問いに、ロランは少しの間を作った後、
「いいえ」
と、クリスの予想通り否定の答えを出した。しかしクリスはもう一度尋ねる。
「本当に」
「ええ」
「私の存在が負担ではないか」
「負担ではありません。なぜそのようなことをお思いになるのですか」
「苦しそうだからだ」
ロランに視線をやると、彼は無表情のままクリスを見つめていた。ランプの橙の光のせいで、黄金の瞳が独特な色を醸し出している。
「お前が苦しんでいるように見えるからだ」
自分でもなぜこういう質問をしているのか分からなかった。もし「あなたが負担です」という返答ならば自分は確実に狼狽するのに、あえて問うているのはロランが決して騎士団長を拒むようなことはしないと分かっているからなのかもしれない。
自分は卑怯だ。
クリスは目を伏せた。こんな女など拒絶してくれればいいのにとまで思う。
「……もし。
私が、あなたの目にそう映るのならば」
疲れているはずだろうに、ロランは鮮明な口調で答えた。
「それは、そうなのかもしれません。しかし、苦しみのない愛などあるでしょうか」
「……」
「エルフの言葉があります。“我らの恋は 風にさざめく木の葉のよう 二人そろっておちるなら それでもかまわない”。
我らの間では有名な言葉です。我々は恋愛が不安定で、揺れ動き、物悲しいものであることを知っています。しかし私たちは、愛し合う二人が寄り添い、共にいるのならば、二人して堕ち、朽ちていくこともかまわないと考えています」
それはずいぶんロマンチックな考え方なのだなとクリスが微笑すると、ロランは真面目に頷いた。
「私は苦しみを受け入れる。もしこの苦しみを拒んでしまえば、私はあなたへの愛と、あなたからの愛すら拒むことになります」
それは真っ直ぐで、強く、信念を帯びた言葉だった。今目の前にあるのは、エルフとして、男としての真のロランの姿なのだろう。
彼の態度にクリスは苦く笑った。
「……そうか」
なぜ、こんなにも想われているのに自分は愛する男を疑い、勝手に一人で不安になり、相手を悲しませるような発言をしてしまうのか。
反省と自責の念が胸の中を暗く覆う。
「分かった。ロラン、ありがとう……」
「……私は」
不意に彼の声が小さくなる。
「私も、あなたのように不安です。私の存在が、あなたの苦しみになっているのではないかと」
「ならば私も同じ答えを返そう」
迷いなく、クリスは答えた。このことばかりは躊躇うことなく断言できる。ロランの存在が重たいがゆえに自分の心が離れていくなどということが起こるとは到底思えなかった。失うことの方が恐ろしく、そう考えることすらも嫌だというのに。
ふと、クリスは気が付く。
「そうか。きっとお前も、こういう気持ちなのだな……」
互いに互いを同じだけ想っているのだとしたら、そこにある不安や恐怖も、もしかしたら同じものなのかもしれない。
「クリス様。
私は、あなたのお側にいる。傍らに、いたい。それが許されるのならば」
再び放たれたロランの強い言葉に、クリスは微笑した。
「許すに決まっている。それ以前に、許可するとかそういうものではない。それが私たちにとって当たり前のようになって欲しいのだ」
ロランは目を伏せ、先ほどの情事のときと同じ苦々しげな面持ちになった。この顔は一体なんだろうとクリスは不安になるが、それが説明しがたい感情なのであろうことは何となく分かっている。喜びではあるが、本当にそれでいいのだろうかという畏怖や迷い、未来への憂い。色んな想いが入り混じる複雑な心境なのだ。
「……申し訳ありません。いつも、同じことを繰り返してばかりで」
「ううん、いいんだ。仕方がないことなんだよ、きっと、これは」
行こう、とクリスは再び手綱を引き、暗い森に馬を歩かせ始めた。
寝不足で始まる休み明けの仕事ほどしんどいものはないが、元より任務に忠実なクリスとロランは、昨日のことが周囲にばれない程度に通常通り業務を終わらせていった。クリスは専属軍師と共に溜まった書類の決済作業、ロランは部下たちとの実践訓練と士官学校に赴いての講義。この法学の授業に限っては士官学校の所在がゼクセなので、彼は今日城と街を二往復していることになる。
業務後、すれ違いざまに気の毒だったなとクリスが声をかけたが、ロランは仕方がありませんと薄く苦笑するだけだった。そのついでに、クリスがそういえば昨日図書館で何を調べていたのか問うと、急にロランは顔を赤くして、いえ……とかぶりを振り、足早に去っていってしまった。
これはしばらく後の話だが、クリスが久しぶりにビュッデヒュッケで出くわしたネイに、あのとき図書館でロランは一体何の本を読んでいたのかを尋ねると、彼女はくすくすと笑って、
「耳の長さはどうなるのかが気になっていたみたいです。人間とエルフなんて、結局文献には無かったみたいですけど、そういう本があるかなって思って探してたみたいですよ」
そう説明した。クリスは耳まで真っ赤になって、その日、愛しい弓使いの背中をどつくついでに後ろから抱きしめた。いきなりのことに訳が分からないといったとうろたえるエルフに、クリスは目に涙を浮かべつつ声を上げて笑った。馬鹿だなあ、あの時のお前はあんなに私を愛してくれたのに、どうして私は不安になったりしていたんだろうな、と。
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