「私、この街で何度か訊かれたんです」

 ゼクセにある、通りの奥のあまり目立たない喫茶店は、有休を取った際、本屋で買った本を読むときにロランが重宝している場所だった。中年のダンディな店主が妻と経営しているのだが、店のたたずまいと同じく店主は物静かな性格で、濃い赤色のタイが少し洒落ており、シンプルで洗練されている雰囲気がロランの気に入っていた。そしてここの挽きたてのコーヒーが抜群に旨いのだ。
 自分はいつものコーヒー、ネイには女性にも飲めるようにとアイスカフェオレを頼んでやる。ひとくち飲んで「美味しい」と感激する彼女に、ロランは心底満足した。

「訊かれたとは、何をですか」

 コーヒーを飲みながら問うと、彼女は、んー、と何やら困ったような声を出し、

「……私と、あなたとクリスさんのこと」

 気まずそうに言った。
 どうやら内輪の話らしい。嫌な予感がしてロランは片眉を上げる。

「はあ。もしかしてビュッデヒュッケの一件がここで尾を引いているのですか?」
「そうみたいですね。私もちょっと驚いてしまいました」

 人間は噂好きみたいですとネイは睫毛を伏せた。
 今の文句にはロランも迷わず賛同できる。性分なのかエルフには元々さらりとした性格の者が多く、あまり他人に執着することがない。互いに個人を尊重しているので干渉を嫌うのだ。そのため他種族たちのねちねちした性分と集団性には辟易していて、だからこそエルフは排他的な精神を持つ者が大多数となっている。
 呆れを覚えて、ロランは深く溜息をついた。

「あの城からここまで話が流れてくること自体が意味不明です。何か言われても、気になさらないでください」
「でも、私とあなたの関係というより、あなたとクリスさんの関係を私が知っているかってことを訊かれる方が多かったです」

 説明に、思わず目を丸くする。

「……は?」
「ロランさんとクリスさんがお二人で買い物をしていたところを見たという方がたくさんいらして。それで、私はいいのかって……何がいいのか分からなかったんですが。なので、よく分からないけれど、いいのではないですかと返しておきました」

 ロランは額を押さえてうなだれた。
 予測していなかったわけではないが、やはりブラス城のみならずこの街でも自分とクリスが二人で本屋や出店に行ったことが噂として広まっているらしい。クリスとの散歩が嫌だったわけではないし、むしろブローチを買ってやって喜ぶ彼女を見ることができて幸せだったのだが、こんな些細なことが街の中を駆けめぐっていたのだと思うと呆れ果ててしまう。なぜ人間たちは他人の事情に執着するのだろう。時間の無駄とは思わないのだろうか。
 迷惑をかけて申し訳ないと頭を下げる。ネイは慌てて両手を振った。

「いいんです、だって私、よく分からなかったんだから。それに、クリスさんとロランさんが仲良くしているんだと知って、嬉しかったんですもの。
 ……私、昔、人間の男性に恋をしたことがあって」

 カフェオレのグラスを両手で持ち、ストローからひとくち飲んだ後、彼女は薄く頬を染めてうつむいた。かつてビュッデヒュッケで会話をしていたときに聞いたことがなかった話題なので、ロランは興味を引かれて耳をすませる。

「旅の途中に出会った男性だったのですが、私たちの芸を見て、とても気に入ってくださって。お話をしているうちに、私の方がだんだん好きになって……その人も、たぶん私のこと気に入ってくださったと思うんです。けれど、彼のご両親がエルフのことをあまりよく思っていなくて、結局なにもできないまま別れてしまいました」

 差別意識が強いエルフに対して不安感を持っていたのだと思います、と、微笑んではいるが悲しげにネイは言った。

「私は人間のもとで育てられたせいで、正直、エルフというよりも人間としての意識の方が強くて……少し寂しかったですね」
「あなたのせいではありません」

 憂いを抱いている彼女の姿が気の毒になり、ロランは真剣に言った。ロランもまた、ネイと同じく、自分のことを人間に近しい存在だと思いたがっているエルフである。
 ロランはゼクセンに来る前までエルフたちと暮らしていたため、恒常的に言われるエルフの選民意識が自分の性根にないわけではない。しかし、それはエルフたちが抱くほどのものではないし、そもそもロランはエルフの差別的な見方を否定している方だ。エルフの世界から離れた自分やネイまで差別の対象になるというのは許し難い――己の力ではどうにもならないことではあるのだが。

「だから私、ロランさんとクリスさんが上手くいっているのなら、すごく嬉しいんです。私もエルフとして希望が持てるわ」

 そう、ネイは笑う。それは本当に綺麗な笑顔で、ロランは胸に切なさを抱いた。
 同じ種族として、人間の中に佇むエルフという同じ立場として、彼女の気持ちは痛いほど分かるし、共通する苦労も多かったはずだ。自分は今やエルフの己を捨てた身である。共感を抱けるネイという存在は、この世において非常に貴重な存在なのかもしれない。
 ネイは信頼できる。そのくらい思慮深く賢い女性だ。ロランは、クリスとの仲を否定せず、素直にありがとうございますと礼を述べた。

「そう言って頂けると、勇気が出ます」
「エルフに伝わる言葉があるのを私も知っているの。
 “我らの恋は 風にさざめく木の葉のよう 二人そろっておちるなら それでもかまわない”。古い本で読みました。私は、エルフと一緒に過ごしたことがないから分からないけれど、彼らはこんなふうに切なくてロマンチックな恋をするのかしら。ロランさんもそう?」
「さあ……」
「ふふっ、いつかエルフと人間のハーフが生まれるのかもしれませんね」

 いたずらっぽく笑われる。ロランは面食らって薄く苦笑した。

「考えてはいません」
「でもきっと、なくはないわ。クリスさんも何か考えているかもしれませんよ。
 ハーフだと、どんな子が生まれるのかしら。耳の長さはどうなるのかしら……」

 真剣に考え始めるネイを面白く思いながら、ロランはコーヒーを飲み、小さく息を吐いた。
 ビュッデヒュッケにいた頃から思っていたが、ネイと過ごすゆったりとした時間は本当に好きだった。





「私は、しばらくシャボンたちと一緒にビュッデヒュッケにいます。もし機会があれば、また会いましょうね」

 まだ買い物があるのだと言い、手を振りながら去っていくすらりとしたネイの後ろ姿を見送りながら、ロランは考える。
 もし、どこかで、何かが違えば。
 自分は、ネイか、あるいは自分と同じエルフの女性を好きになっていたのだろうか。
 それが、どうしてクリスなのだろうか。
 そんなことは考えても一生分からないという騎士団長の教訓を思い出し、ロランもまた城に戻るため踵を返した。