セダム   花言葉は「静寂、私を思って」





 その日は妙な静けさがあった。
 外は風が無く快晴だ。遮るものがないために様々な物音がブラス城のクリスの部屋に届き、不気味なほど響いている。男たちのにぎやかな声、隊長の怒号、厨房の忙しない金属音、鳥たちのさえずりなど。
 窓からは白く強烈な光が差し込み、ちょうどクリスの佇んだ場所を照らしている。窓の方を向いては眩しくて目を開けていられないため、背を向けて部屋の方を見ているが、その視界は大きな男の身体に遮られていた。
 弓使いはクリスの道を塞ぐように立っていた。女を見下ろしている表情は無で、瞳が外の明るさに伴い黄金色に暗くきらめいている。
 彼はクリスの唇を冷たい素の親指で軽く撫でていた。そのためクリスは何の言葉も発することができず、ぐっと顔を上げたまま、男の真っ直ぐな視線に応えるしかなかった。
 じきに男はゆっくりと唇を開いた。

「なぜ、そこまで私を想うのです」

 相変わらず淡々としていたが、どこか苦しさが漂う口調だった。
 理由を求めておきながら、ロランは唇から指を退けようとしない。その仕草はどこか妖しく、時おり頬を撫でてくる人差し指や中指がクリスの背筋に小さな震えを走らせた。

「私の、せいですか」

 今度は答えを聞きたいのか、問いの後、彼は手を下ろした。クリスは男の瞳から一切視線を外さず、口を開いた。

「どうして自分を責める。当然のことだ。私はお前が死んだら悲しいよ」

 返答に、ロランはわずかに眉間に皺を寄せた。だが何も言い返さない。もっと詳しく教えて欲しいと沈黙で言っている。
 いつもそうだと、クリスは密かに落胆した。この男は、こういったところで損をしている。
 口に出してしまえば楽だろう。自分の考えていることが確実かつ素直に伝わり、何より自身のことを相手によく知ってもらうことができるのだから。皆が思っているほどロランは冷たくなく残酷でもないことをクリスは理解している。しかし周囲の者たちから大抵そう見なされてしまうのは、彼が表現をしないせいだ。表現が足りないのだ。彼にはいつでも、他人に対し、どこか諦めのようなものが漂っていた。
 クリスはロランの頬に手を伸ばし、痩けた白い肌をそっと撫でた。

「ロラン。たとえ、そう考えることが弱さなのだとしても、武人を率いる騎士団長として相応しくないのだとしても、愛を知らないことほど悲しく愚かなことはないのだと私は思う。
 私はお前が死んだら悲しいよ。だから戦争などこれ以上起こって欲しくないと考える。お前の命が奪われる可能性が減るからな」

 聞いたロランはクリスを見つめたまま、納得していなさそうな面持ちになった。

「……しかし、いざというときには、我々は」
「分かっている」

 遮り、苛立ちを覚えたクリスは、ごまかすために苦笑した。彼の頬から手を遠ざけ、くるりと背を向けて窓の外を見下ろす。そろそろ昼食の時間帯なので、道行く鎧の兜を脱いだ男たちの頭が見える。

「なあロラン。お前はたぶん、私が一人で立っていられなくなることに怯えているのだろう。
 でも私はもともとそんな強い女ではないよ。サロメがいなければ何もできない。他の騎士たちに支えられなければ私は無力だ。私はお前が思っているほど立派な人間ではないよ」

 そう思われることを私自身が拒むことを、お前も知っているはずだ。
 滞ることなく放たれた言葉に、ロランは言い返さなかった。抵抗したいが、そうするべきではないという葛藤の空気が背後にあった。たぶん、以前の彼ならば、そこで「そんなことはない」と続けたのだろう、クリスに対し、なんの根拠もなく。
 彼の恐ろしいまでの絶対視が消えていくことが、クリスには心地よかった。以前の忠実な弓使いは騎士団長に対して厳しすぎていた。

「ロラン。私が死んだら悲しくないのか」

 窓の外を眺めたまま、クリスは問う。彼はしばし黙っていたが、不意にクリスの首もとにひんやりとした指先をそっと触れさせ、答えた。

「悲しいです」

 端からみれば淡泊な一言に聞こえるだろう。だが、その厳かな響きと、彼がそう言ってくれたという事実に、クリスは思わず泣きそうになった。
 再び振り返り、ロランを見上げる。

「どうして?」

 彼は、鳥肌が立つほど深い金色の瞳でクリスを見下ろしていた。少し間をおき、やはり無表情で答えた。

「愛して……愛しているからです」

 それは厳格で鋭利な彼らしくない、消え入りそうな声だった。
 本心を述べているのだろうが、何かを迷っているらしい。こういった台詞を口にするときはいつもそうだった。たぶん、自分にはそんなことを言う資格はないと思っているのだろう。
 どうしてそんなふうに怯えるのだと、クリスは彼を安心させるために両目を見つめて微笑した。

「私たち、愛し合っているんだな」

 言葉に、ロランは考え込むように睫毛を伏せ、再びクリスを見やると笑みを浮かべた。
 乾いた光に照らされたそれは、少しつらそうな微笑みだった。