イソトマ   花言葉は「狂愛、強烈な誘惑、猛毒」





 恋は盲目だとよく言ったものだ。
 愛する女を抱いているときは、全てのしがらみを忘れて欲望の嵐に身を任せている。
 本当は己の愚かさをいつ何時でも心に焼き付けていなければいけないのに。
 かつての自分だったら、それが可能だったかもしれないのに。

 女の白い肌にねっとりと手を這わせると、嬌声を上げて身体をよじり、強すぎる快楽から逃げ出そうとする。男はすかさず手首をシーツに押さえつけ、それを許さない。力の入らない腕で抵抗することは難しいらしく、結局は男の名を繰り返し呼ぶことでやめてほしいと訴えている。しかし妖しい光を宿した二つの紫の瞳は続けて欲しいとねだっている。男は彼女の口から漏れ落ちる言葉を信じず、その目を見て全てを判断する。
 女は、艶めいた声を上げて男の身体を愛撫する。男は、女の首に、鎖骨に、胸元に吸い付き、赤い痕跡を残していく。侍女たちにばれてしまうからやめてくれと女は必死に首を振る。吸う行為から舌先でつついて舐める行為に変え、彼女の色めいた身体を堪能していく。
 いつか動きが貫くものに変わると、女は理性を失って白い喉をそらし、狂ったように男の名を呼んだ。時おり女の名を呼び返して、男はそれに応じる。限界が近くなるにつれ、全てが恍惚の光の中に埋もれていく、身体も、声も、視界も、感情も、意味も、何もかも、すべてが。
 無に還る。

 ああ。

 隣でぜいぜいと苦しげな呼吸をしているクリスを片腕で包み、ロランはぼんやりと考える。
 彼女に対する自分の愛は、今や狂気に変わっているのではなかろうかと。
 彼女を本気で愛するようになってから、何事においても知性を働かせ冷静に振る舞うことを常としていた己が土台を失って崩れていくのを痛感していた。
 それは自分の望みではない。理性という枷を失い、欲望や執着に身を焦がす愚かしい自分自身など信じたくはない。
 そう思いながらも、クリスが腕の中であまりに朗らかに笑い、純粋に求め、子どものように泣くものだから、悟性の塔から転落していくことを止められないでいた。

「クリス様」

 名を呼ぶ。
 ん、と小さな声で答え、汗で張りつく額の髪を小指で分けながら、クリスは上目遣いにロランを見る。大きな薄紫色の瞳は、まるで汚れを知らないまま美しく透きとおっている。
 なあに?というふうに首を傾けるクリスに、ロランは居たたまれない思いを抱き、目を伏せ、そのしなやかな白い身体を胸に引き寄せた。
 彼女はまだ湿っている肌を嬉しそうに押しつけ、身体を小さくして、そこに静かに収まる。

 どうか、今は。
 清き愛する人よ、私を見ないで欲しい。
 無垢なあなたに、この醜い心がばれてしまえば、きっと軽蔑されることだろう。
 手に入れた今でさえその髪の先まで欲しくてたまらない。
 誰もが心奪われる美しい容姿を誰の目にも触れさせたくない。
 望む資格などないのに、そんな欲望を抱く男など、あなたには相応しくないのだ。
 私はあなたに寄り添うだけでいいのだから。
 あなたは私にそれだけを求めているのだから。
 永久を手に入れたかもしれない女を自分のものにしてほくそ笑む男など。
 他の者たちが朽ちていく瞬間を横目に永い時を歩んでいける自分に満足する男など。

「少しお眠りください。疲れているようですので」

 おぞましい自分から遠ざかって欲しくて、彼女の銀髪を撫でながら機械的に言う。
 クリスは本当に疲れていたのか、小さく頷いてロランの背中にそっと腕を回し、胸元で目を閉じた。
 じきに寝息が聞こえ始める。

「……クリス様」

 返事がないことを確認してから、ロランは眉を寄せて細く息を吐いた。

「謝らなければならないのは、俺の方です」

 眠る女神に言葉は届かない。
 言葉を、届けない。