ストレリチア   花言葉は「寛容、おしゃれな恋」





 デート、と言うと、少し意味合いが強すぎるかもしれない。だからといって買い物と表現してしまうのは味気ない。一人ではない散歩――一番それに近いかもしれない。クリスはゼクセの街を歩きながら他愛もないことを考えていた。
 基本的に休日と呼べるものはないが、戦がない限りはひたすら事務仕事と訓練、または日々ゼクセンの自衛に当たっているゼクセン騎士団は、労働条件上、有休が与えられており、申し出てそのとき仕事に影響が出なければ休みを取れるシステムになっている。先日、ロランが休暇願いを提出してきたため、上司の特権で「差し支えなければ理由を教えて欲しい」と言うと、「単に有休を消化していないので」という素っ気ない返答だった。彼には実家と呼べるものが無いらしく、たまの休みはゼクセで買い物をしたり部屋で読書をしたりしているというところまで口を割らせ、その翌日、クリスが彼と同じ日に有休を取ったところ、六騎士の他のメンツは大変慌てふためきどよめいた。ロランに鋭い視線を向けて殺気立ったほどである。
 いや、たまたまなんだけどなとクリスは笑い、ロランも顔をうつむかせ無言で頷いて、皆も「クリス様がそうおっしゃるのならば」といまいち疑念が晴らされていない様子で承諾したが、実際はクリスがロランの買い物とやらに付き合ってみたいという願望から得た休日だった。ロランも承諾済み――しぶしぶ承諾済みである。
 ブラス城を出発する際、一日中一緒にいるわけではなく、ゼクセの街を二人でほんの少しだけ散策できればいいんだからと私服に着替えたクリスは陽気にロランに言った。ロランも同じく防具ではなくシャツと灰色のカーディガン、黒のズボンという軽装で、いや、それは構いませんが、それ以外のところに問題があるのですよと嘆息しつつ、クリスの後ろから馬を走らせたのだった。
 ゼクセに着くと、ロランの目的である本屋に向かった。彼はかなりの読書家らしい。部屋に入ったことはないが、きっとたくさんの本が書棚に詰まっているのだろうと想像しつつ、彼が買い物を終えるのを店内でうろうろして待っていた。クリスは別段本が好きなわけではなく、棚に陳列されている本の背表紙を目で追いながら、あくびをしていた。文字を読むとどうしてか眠くなってしまう。
 本なんて士官学校時代以来読んでいない気がするな……と心の中でぼやいているうちに、ロランが紙袋を手に戻ってきた。

「お待たせしました」
「買えたか?」
「ええ」

 どんな本なんだと尋ねると、小説ですと短く答える。どんな内容の小説なんだと問うと、読んでいないから分かりませんと言う。お前は全然ユーモアがないなと笑うと、すみませんとロランは無表情で謝った。
 書店を出て、二人は、さてどうしようかと立ち止まった。本を買うというロランの目的も、ロランの買い物に付き合ってみるというクリスの目的も、今や果たされてしまったわけだ。

「茶でも飲むか? でも無理矢理ついてきて自分からそう言うのもおかしいよな」

 クリスは提案しながら腕を組んで考えた。ロランは、いえ、と小さな声で応える。

「クリス様がそうしたいのであれば、私もご一緒させて頂きますが」
「いや別に、すごくそうしたいってわけじゃないんだ。ただ、このまま別れるのはちょっと惜しいかなって」

 だってロランと外出するなんてそうそうできることじゃないし……と背の高い彼を見上げる。ロランは、やや困ったように首をかしげ、

「……城に戻ってもよろしいのでは。ゼクセにいると我々は目立ちすぎますし」

 溜息混じりに言う。街の入り口から「クリス様とロラン様だ」「なぜあのお二人が」「珍しい」と散々ひそひそ話をされていた二人である。翌日にはゼクセのみならずブラス城にも噂が広まっていることだろう。
 それもそうだなとクリスは軽く上体を反らし、大きく息を吐いた。

「じゃあ――戻るか」
「よろしいですか?」
「ああ。私も別にここに用事があるわけではないし」

 言って、歩き始める。すると急に、近くの露店から声がした。

「ちょっとそこのかわいいお嬢さん! 背の高いお兄さん!」

 振り返ると、露店に立つ四十歳くらいの男性店主が大きく手を振っていた。呼び込みかと思い、遠慮しますと控えめに二人は頭を下げるが、そんなこと言うなよ!と手招きをしてくる。
 クリスとロランは顔を見合わせ、まあ、もう帰るだけしな、と目で合図すると、露店の方に近づいた。店主が嬉しそうに、台に並べられたものを両手を広げて披露する。

「お兄さん、彼女にアクセサリなんてどうよ? 買ってあげなよ!」

 売られているものは、ピアスやブローチ、ネックレスなどの装飾品だった。どうやら男性向けのものもあるようだ。そういえばお前もピアスをしているなと、クリスが横に並んだロランを見上げる。すると、彼は、なぜか険しい顔をして店主を睨んでいた。
 怪訝に思っていると、クリスの視線には気付かない様子でロランが口を開いた。

「――ここにいらっしゃるのは」

 言いかけた台詞を聞いて、クリスはハッとしてロランのカーディガンを引っぱる。言葉を止め、驚いたようにロランはクリスを見下ろす。
 クリスは首を横に振った後、笑顔で店主を見た。

「いつもゼクセでお店を開いているんですか?」
「あ、おれは余所ものなんでさ。各地を放浪しながら装飾品を作って売り歩いているんです。たまたま今ここにいるだけなんですよ」

 だから買っていってください、たとえばこれなんかはずっと東の海の町で手に入れた宝石で作ったブローチなんですよ、と、並べられていたうちの一つの商品を指差した。それは銀の小さな長方形の土台に、同じく長方形の青色とも水色とも灰色とも取れる輝きを持つ宝石が中心部として埋め込まれ、その周囲を細かなパールで飾ってある一品だった。なかなか丁寧に作られており、美しい。
 手に取ってもよいと言われたので、手のひらに載せて慎重に見やる。陽の光に当てると、宝石の中にある無数の粒子がきらきらと輝いた。

「うわ、きれい」
「だろ? それ、つい最近まで作ってたもんで、ようやくゼクセで並べたやつなんだよ。真心込めて作ったやつさ」
「いいなあ」

 思わず呟くと、お兄さん、と店主がロランを呼んだ。

「ここで買ってあげなきゃ一生損するよ。こんな美人な彼女なんだから、あっという間に別の奴にもってかれちまうよ」
「ですから、この方は彼女などでは」
「これ欲しいな」

 少し大きな声で遮り、クリスはロランを見上げた。彼は見て分かるほどに困惑した表情でクリスに視線を返している。
 内心面白く思いながら、クリスが、だめ?と首をかしげると、ロランはふっと目をそらした。

「……」
「こんなかわいくおねだりされちゃあなあ?」

 けらけらと笑う店主を少し顔を赤くして睨み、ロランが無言で財布を出す。彼の手元を見たクリスは、自分でねだっておきながら焦ってしまった。

「えっ、本当にいいのか?」
「……だって欲しいのでしょう?」

 棘のある声で言われ、うっとクリスはひるむ。店主の口から放たれた値段はなかなかのものだったが、ロランは特に抵抗もせず金を渡した。

「まいど。彼女、おれの生んだ大事な子どもだから、大切にしてくれよ」
「あ、ああ……いえ、はい」
「彼氏も彼女のこと大事にしてやれよ。こんな美人、めったにいねえからな」

 わりと真剣な顔をして言われ、ロランは沈黙したが、店主が返事を待っていることに気付くと、やむを得ずといった様子で、ええ、とようやく聞き取れる声で相づちを打った。
 店主に礼を言い、露店を離れる。クリスの手には小さな巾着に入ったブローチが一つ。人生でとても大切なものができたようで、嬉しくなって隣を歩くロランを見上げた。

「ありがとう、ロラン」
「いいえ」
「ごめんな、なんか買わせたみたいになって。でもすごく気に入ったんだ。大事にする」

 甲冑の下の襟につけると言うと、やめてください目立つから、とロランは珍しく慌てた。

「それはなんだと言われるに決まっているでしょう」
「ロランに買ってもらったって言っちゃだめか?」

 唇を尖らせる。ロランは先ほどと同じく目をそらし、

「……彼らに囲まれる私の身にもなっていただきたい……」

 ふて腐れたように呟く。彼のそんな姿が可愛らしくて、クリスは顔をほころばせた。

「あはは、確かにそうだな。でもこんな綺麗なブローチ、机の中に仕舞うだけなんて味気ないだろう。店主にも申し訳がない」
「それはまあ、そうですが」
「な? ちゃんとつけたい。小さいからそんなに目立たないよ。
 それに、たぶん、私たちが何も言わずとも、明日には私のブローチの出所が知れ渡っているぞ」

 だってここはゼクセだからな。
 クリスの台詞に、ロランは諦めたように嘆息する。

「……それもそうでした」
「明日はちょっと忙しいな!」

 クリスは無邪気に微笑む。ロランは半眼でクリスを見つめていたが、ふっと表情を崩し、小さく苦笑した。